引用元:http://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2009/090818utahime.html終戦後、戦勝国によって、捕虜や一般市民に対する殺害、虐待行為を問われた戦犯裁判が国内外で実施され、その中で最も過酷だったのがフィリピンだった。容疑をかけられた日本人兵士たちは、証人として出廷したフィリピン人による「こいつが犯人だ」という、指さし一つで、証言の信憑性を問われることなく次々に死刑の判決を下され、モンテンルパ刑務所に収監されてしまう。その中には明らかな冤罪も多かったという。
そして、終戦から6年後の昭和26年、極秘裏に14名の日本人の一斉処刑が行われた。 しかし、復興に沸く日本では、その事実に目を向けるものはいなかった。 迫り来る死への恐怖…そんな彼らの命を救いだす原動力となったのは、政治家でも、外交官でもない、一人の歌手・渡辺はま子だった。
モンテンルパの日本人戦犯が作詞・作曲した「あゝモンテンルパの夜は更けて」は、はま子の歌声を通して、大ヒットを記録。この歌を携え、はま子は当時国交のなかったフィリピンに単身乗り込み、日本人歌手として初めて、モンテンルパ刑務所を訪問。帰国後も、釈放を訴え続けた。
コメント